院長紹介
院長挨拶
こんにちは、院長の松田です。
当院ではスタッフ一同「成長」を合言葉に、より良い病院作りに向けて前進を続けています。しかし、これからまだまだハード面の整備やソフト面の充実など、課題は山積みです。いわゆる「心の癒し」には、癒される体験の次に、自分の心を抱える力が育つことも大切です。
人の心に必要な「ほどよい環境」をいつも考えながら、余計なお世話にならないように「あなたの心の傍らに寄り添っていかなければ」と思います。
当院ではスタッフ一同「成長」を合言葉に、より良い病院作りに向けて前進を続けています。しかし、これからまだまだハード面の整備やソフト面の充実など、課題は山積みです。いわゆる「心の癒し」には、癒される体験の次に、自分の心を抱える力が育つことも大切です。
人の心に必要な「ほどよい環境」をいつも考えながら、余計なお世話にならないように「あなたの心の傍らに寄り添っていかなければ」と思います。
理事長・院長 松田 文雄
思春期の森
生まれた町から離れ、自分の 住む町を見つけるために、「森」を抜けなければならない。
1生まれた町
| 親のそばで、見守られながら無邪気に安心して遊ぶ子ども。遊びの中で、好奇心を磨き、冒険を企て現実の痛みと喜びを知る。不安と安心は親の眼差しに映し出され、さまざまな体験と結びついてゆく。その度に、親の視線に、頼りたい気持ちと行動の是否を尋ねる。いつの間にか楽しくも短い季節は移り、もう少しそこに居た いとか遊び足りないとか、もう少しそこで遊んでなさいとか、一切容赦なく、急速に、そして、内側から沸き上がる抗し難いエネルギーに導かれ「森」へと誘われる。性。 |
2森への誘い | 次第に外の景色は薄れ、内の景色は鮮やかとなる。彩りは森となり、心が森となる。その子どもの中に自分の森が膨らむ。親の住む町に引き返したい気持ちや駆け抜けたい気持ちや、変わって行くことの不安と喜びに戸惑う。気持ちは内に向い、己と向い合うことを余儀なくされる。森の奥深く、かつての眼差しを感じな がら。一歩を踏み込むことになる。 |
3森の中で | 身体も心も多くの出会いをする深い森。一度入ると出口も入口も、己がどこに居るのかも分からない。同じさまよい人と声を交わし、ひと ときの間、独りぼっちの怖さが安堵に変わり、不安からの退却から対決を決意する。そして、大勢の中に居ながらも孤独を感じ、再び森をさまよう。初めて見る 動植物に驚きながら、親しみを感じ始める。やがて、その出会いの全てが己の中にあること、自分の森の中にあることに少しずつ気付き、自分自身と自分以外の多くの人の存在を知る。森の半ばまで来ると、自ずと歩き方がサマになってくる。その頃から、多くの獣道が見えて来る。その先にある、進むべき道を想像し、幾通りもの分かれ道に戸惑い、足跡をつけながら、自分の歩き方で無意識の森から意識の光の中へと進む。そのうち、住むべき町へとつながる出口に差し掛かる のである。 |
4私と彼らの森との かかわり合い | 私は仕事柄、出会った子ども達がすでに森の中をさまよっている場合が少なくない。母親に手を引かれたまま森に入り、父親を生まれた町に残したままさまよっている母と子。母親に、「このあたりでそろそろ戻って下さい。大丈夫。手を引かなくてもこの子は出口を自分で見つけますから」と、母親の道案内を買って出て、父親に引き渡すことも少なくない。その場合、多くはそこに問題があることに気付くことになる。入口のところにしゃがみ込んでいる子どもには、手を差し出さず、後ろから押してみる。どっぷりと浸かり、森の中に住処を作ってしまった子どもを見つけると、しばらく一緒に過ごしてみる。住 処を作った理由を一緒に捜すために。森からはずれジャングルに入り、暴れ回っている子どもには、森までとにかく一旦連れ戻す。出口が見つからない子どもに 出会うと、一緒に高い木を捜し、木の上に登って森を眺めてみる。森を閉ざした子どもには、外から親と一緒に励ます態度や言葉を捜し、森ごと抱えてみる。やがて、彼らが森から出た瞬間、森は消え、彼らは私と森を忘れる。何事も無かったかのように、私の前から彼らは去って行く。そして、その時、私の前にうなだ れて座っている親に気付くことが多い。 |
5おわりに | 思春期には、恐らく思春期の遥か以前、幼い頃からすでに決まっていた道を迪ることになるのであろう。その、古い道をあらためて辿りな がら、彼らが新しい道を歩くことをそっと励ますことの難しさにいつも直面する。この仕事に就いて、彼らと一緒に森をさまよううちに、私自身がいつの間にか 森の住人になってしまっていることに時々気が付いてはいるのだが。 (松田文雄) |